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最高裁判所第一小法廷 昭和55年(オ)260号 判決

上告人

神田信用金庫

右代表者

清水好二郎

右訴訟代理入

輿石睦

松澤與市

寺村温雄

被上告人

石嶋敏雄

右訴訟代理入

高氏佶

主文

原判決を破棄する。

本件を東京高等裁判所に差し戻す。

理由

上告代理人輿石睦、同松澤與市、同寺村温雄の上告理由第一点ないし第三点について

記録によると、被上告人が事実審で主張した本訴請求の要領は、被上告人は、昭和五一年七月一九日上告人(関町支店)に対し、期間六か月等の約定で一五〇万円及び三〇〇万円の二口の定期預金をしたので(以下「本件定期預金」という。)、元金四五〇万円及び約定利息一六万二四七七円並びに右元金に対する昭和五二年四月二一日から支払済に至るまで商事法定利率年六分の割合による金員の支払を求めるというのであり、これに対七、上告人が主張した抗弁の要領は、(1) 上告人は、昭和五一年八月一八日被上告人に四五〇万円を弁済期日同年一一月三〇日として手形貸付をし(以下「本件貸付」という。)、同日被上告人から本件貸付金債権担保のため本件定期預金に質権の設定を受けたが、被上告人が本件貸付金を返済しなかつたため、昭和五二年五月二九日被上告人到達の書面で本件貸付元利金をもつて本件定期預金元利金と相殺した、(2) かりに、被上告人が本件貸付及び質権設定契約の相手方でなかつたとしても、上告人は、本件定期預金に質権設定を受け、右預金債権を受働債権として相殺する予定で右貸付を行つたものであるところ、当時、上告人は、次のような事情により被上告人自身が本件貸付契約及び右質権設定契約を締結するものと信じ、かつ、そう信じたことに過失がなかつたから、債権の準占有者に対する弁済に準じ、右相殺をもつて被上告人に対抗することができる。すなわち、本件定期預金自体が、上告人と取引のあつた訴外平岩仁雄の紹介でなされたものであるところ、昭和五一年八月一八日被上告人と名乗る男が右平岩とともに上告人関町支店に来店し、本件定期預金を担保に融資の申入をしたので、応対した上告人融資係(山田昌平)は、かねて右平岩と面識があり、提出された本件定期預金証書二通及び借入申込書、担保差入書等の印影を本件定期預金申込書の被上告人届出印と照合し、両者が同一であることを確認したうえで、被上告人と名乗る男が被上告人自身であると信じて本件貸付を行つたものである、(3) なお、本件定期預金契約には「この証書諸届その他の書類に使用された印影を届出の印鑑と相当の注意をもつて照合し、相違ないと認めて取扱いましたうえは、それらの書類につき、偽造、変造その他の事故があつても、そのために生じた損害については、当金庫は責任を負いません。」との免責規定が存する、というのである。

原審は、これに対し、(1)被上告人が上告人に対し本件定期預金をしたことは当事者間に争いがない、(2) 上告人が昭和五一年八月一八日被上告人との間で本件貸付契約をしたことを認めるに足りず、かえつて、本件貸付契約は被上告人の意思とは全く関係なく、被上告人の替え玉によつて締結されたものと認められるから、被上告人に対する本件貨付債権の存在を認めるに由はない、(3) 本件預金は記名式定期預金であつて、上告人はその真正の預金者が被上告人であることを認識していたものであり、単に本件貸付契約の締結にあたつて前記替え玉某を被上告人本人と誤信したというにすぎないから、右替え玉某を表見預金者としてこれに対し貸付をする合意が成立したと考える余地もない、(4) 上告人は契約上の免責約款の適用による免責をいうが、(イ) 被上告人は昭和五二年四月二〇日過ぎころ、上告人関町支店長と面談して本件定期預金を担保とする本件貸付を初めて知らされたこと、(ロ) 上告人主張の本件貸付金債権の弁済期間は昭和五一年一一月三〇日とされ、本件定期預金債権に質権を設定する旨の同年八月一八日付担保差入証書に対する公証人の確定日付は昭和五二年四月二六日となつていること、(ハ) 上告人は同年五月二七日の相殺の意思表示前に被上告人に対し本件貸付金についての催告等一切の連絡をしていないことから考えると、上告人は相殺権行使の時点では、本件貸付契約及びその主張の担保設定契約がいずれも被上告人の意思に基づかないでされたことを知つていたと認められるから、右免責約款の効力、印影照合に関する過失の有無については判断するまでもなく、また、相殺による本件定期預金債権消滅の成否に関し民法四七八条の規定を類推適用して債権の準占有者に対する弁済を考慮する余地もないと判示し、上告人の抗弁を排斥している。

しかしながら、金融機関が、自行の記名式定期預金の預金者名義人であると称する第三者から、その定期預金を担保とする金銭貸付の申込みを受け、右定期預金についての預金通帳及び届出印と同一の印影の呈示を受けたため同人を右預金者本人と誤信してこれに応じ、右定期預金に担保権の設定を受けてその第三者に金銭を貸し付け、その後、担保権実行の趣旨で右貸付債権を自働債権とし右預金債権を受働債権として相殺をした場合には、少なくともその相殺の効力に関する限りは、これを実質的に定期預金の期限前解約による払戻と同視することができ、また、そうするのが相当であるから、右金融機関が、当該貸付等の契約締結にあたり、右第三者を預金者本人と認定するにつき、かかる場合に金融機関として負担すべき相当の注意義務を尽くしたと認められるときには、民法四七八条の規定を類推適用し、右第三者に対する貸金債権と担保に供された定期預金債権との相殺をもつて真実の預金者に対抗することができるものと解するのが相当である(なお、この場合、当該金融機関が相殺の意思表示をする時点においては右第三者が真実の預金者と同一人でないことを知つていたとしても、これによつて上記結論に影響はない。)。

そうすると、右と異なる見解に立ち、本件貸付時においてかかる場合に金融機関として尽くすべき相当な注意を用いたか否か等について審理を尽くすことなく、上告人が本件貸付金債権をもつてした本件定期預金債権との相殺の効力を認めるに由がないとした原審の判断には、前記法条の解釈適用を誤り、ひいて理由不備を犯した違法があるものといわなければならない。論旨は理由があり、原判決は、その余の点について判断するまでもなく、破棄を免れない。そして、本件はさらに叙上の点について審理を尽くさせるためこれを原審に差し戻すのが相当である。

よつて、民訴法四〇七条一項に従い、裁判宮全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(和田誠一 藤﨑萬里 中村治朗 谷口正孝 角田禮次郎)

上告代理人輿石睦、同松澤與市、同寺村温雄の上告理由

第一点 原審が、本件は、最高裁判所昭和四八年三月二七日第三小法廷判決、民集二七巻二号三六七頁と事案を異にするとの判断により民法四七八条の類推適用を否定したことは同条の法令解釈を誤まり判例に違背したものであつて、その誤まりは判決に影響を及ぼすこと明白である。

一、右の最高裁判決は、金融機関が、無記名定期預金債権に担保の認定を受け、または、右債権を受働債権として相殺する予定のもとに新たに貸付けをする場合においては、預金者を定め、その者に対し貸付をし、これによつて生じた貸金債権を自働債権として無記名定期預金債務と相殺がされるに至つたとき等は、実質的には、無記名定期預金の期限前払戻と同視することができるから、金融機関は、金融機関が預金者と定めた者(表見預金者)が真実の預金者と異なるとしても、金融機関として尽くすべき相当な注意を用いた以上、民法四七八条の類推適用、あるいは、無記名定期預金契約上存する免責規定によつて、表見預金者に対する貸金債権と、無記名定期預金債務との相殺等をもつて、真実の預金者に対抗しうるものと解するのが相当である、と判示するものである。

二、本件も、右判例の法理が適用されるべきところ、原審は前示判例と事案を異にし、適切でない、との判断をする理由として、

(一) 本件二口の定期預金が被上告人を預金者とする記名式のものであること。

(二) 上告人としては、その得意先係大木勇が被上告人と直接預金契約をしていること(大木証言、被上告人本人尋問)から、真正の預金者が被上告人であることを認識していたものと、いわなければならないから、被上告人と名のる別人(替え玉)を表見預金者としてこれに対し貸付けをする合意が成立したと考える余地もないこと。

の二点を掲げている。

三、しかしながら、原審のこの理由はいずれも民法第四七八条の解釈を誤まつた判断に基づくものである。以下、原審の判断の誤まりを具体的にのべる。

(一) 第一に、原審は、前示最高裁判例が、無記名定期預金に関するものであり、本件が記名式定期預金であつて、事案を異にするというが、前示最高裁判例は、無記名定期預金の真実の預金者が誰であるかを認定するには、特段の事情の認められないかぎり、出捐者をもつて真の預金者であると認定すべきことを明らかにし(客観説)、この客観説の欠陥(すなわち、金融機関としては、出捐者が誰であるかを容易に確定しえない場合があること)を補い真実の預金者と金融機関との利害の調整を図る法理を判示したものである。

このように、真の預金者の認定について客観説を採用すれば、記名式預金の場合も、同様に、特段の事情のない限り、出捐者をもつて真の預金者と認定すべきものとなり(最高裁昭和五二年八月九日第二小法廷判決、民集三一巻四号七四二頁)、出捐者と預金名義人が異なり、真の預金者と金融機関の利害の対立が生ずる場合の解決法理として民法第四七八条の類推適用ないしは、預金契約上の免責規定の適用が認められるべきである。

よつて、単に、本件が記名式定期預金に関する場合であることを理由として、前示最高裁判例と事案を異にするということはできない。

なお、最高裁昭和五三年五月一日第二小法廷判決(判例時報八九三号三一頁)は、記名式定期預金につき、真実の預金者と異なる者を預金者と認定してこの者に対し、右預金と相殺する予定のもとに貸付をし、その後右の相殺をする場合については、民法四七八条の類推適用があるものと解すべき旨を判示している。

(二) 第二に、真正の預金者が被上告人であることを上告人としては認識していたものとの判断をしていることについて。

(1) 原審は、証人大木勇の証言及び被上告人本人尋問の結果をもとに、右の判断をしているものである。本件の事実関係としては、たしかに第一審が認定しているとおり、被上告人は、すし職人として稼働していたところ、客として知り合つた訴外平岩仁雄の紹介で、上告人関町支店に預金することとし、昭和五一年七月一七日、「石島敏雄」と刻した被上告人の印章と、額面三〇〇万円の小切手および現金一五〇万円を持参し、平岩の経営する練馬区関町六丁目二三五番地所在の三協ガス圧接の事務所に赴いた。同事務所において、被上告人は、上告人関町支店得意先係員大木勇らに対し、定期預金の申込みをなし、所定の定期預金申込書に、平岩が、被上告人に代わつてその氏名欄に「石島敏雄」および住所欄に同事務所の所在地を記入した、というものである。

このように、被上告人は、その名義の定期預金をなすに際し上告人の営業店舗に赴いたものではなく、第三者である平岩の事務所において、上告人の一得意先係員にすぎない大木勇と面接をしたものにすぎない。ところが、原審は右事実関係をもつて直ちに、上告人としては真正な預金者が被上告人であることを認識しており、貸付契約時に石島と名のる別人(替え玉)が来店したとしても、やはり上告人としては、替え玉を表見預金者としてこれに対し貸付をする合意が成立したと考える余地もない、との判断をなしている。

(2) しかしながら、原審の右判断は誤まりである。けだし、金融機関の一得意先係が店舗外で預金者本人から預金申込を受ければ直ちに、金融機関としては、真正なる預金者が誰であるかを認識していたことになるとすれば、その後真正なる預金者とは別人が、預金者を名のつて(替え玉として)金融機関に来店した場合、金融機関が善意の弁済者として保護される余地が全く存在しなくなり、著しく、正義に反し公平を欠くものとなつてしまう。

通常金融機関においては、その職員は、得意先係、現在窓口係、融資係、その他の部署に分かれて配属され、それぞれが多数の顧客を相手にする業務を日常的に行なつているものであり、個々の職員がすべて顧客の顔を知つたうえで業務を行なうことはありえないし、また、或る職員が顔を知り面識がある顧客であつても、他の職員は、そのことを全く知らされないのが通例である。殊に、預金担当職員と融資担当職員は、同一職員が兼ねる事例は稀有であり、ほとんどの場合、別々である。上告人関町支店においても同様であり、得意先係大木勇がたまたま店舗外で、被上告人と面談したとしても、他の職員は通常その事実すら知らされていない(これは、多数の顧客を相手にする職員としては当然のことであり、知らないことを非難することはできない)。

従つて、上告人の融資係山田昇平は、「石島敏雄」なる者との面識がないとしても、それは当然のことであり、それ故に、預金者本人との同一性を確認するため、預金証書の確認、印鑑照合等を行なつているのである。

よつて、真正なる預金者を名乗る別人(替え玉)表見預金者として金融機関が認めて取扱つたか否かは、預金の払戻または貸付申込のために来店した替え玉について、金融機関側がどのようにして、真正なる預金者との同一性を確認したかを判断したうえで認定されなければならない。

(3) これを原審のように、得意先係大木が被上告人自身と面識があるから当然上告人としては真正な預金者を認識しており、融資係山田昇平は、替え玉を被上告人と誤認したものにすぎないと評価するのは余まりに金融機関の実体を無視した判断である。原審の如き見解にたてば、次のような悪事が容易に成り立つことを容認せざるを得なくなる。

すなわち、金融機関に一旦直接赴き、自ら記名式預金をした者が、のちに、知人とぐるになり、その知人に預金証書、印章をすべて預け、知人があたかも預金者本人に成りすまして預入れの際担当した職員とは別の職員に対して預金を担保とする融資の申込を請求する。金融機関の窓口係は自ら預入れを担当した顧客ではないから、真実の預金者からの融資申込であるか否かを知らない。従つてかかる場合、預金証書の確認、印鑑照合払戻理由の聴取等、預金者との同一性確認の手続をなしたうえで貸付をなす(預金で担保される限度内であれば、このような手続をとつて貸付をするのが金融機関の通例である)。その後知人(替え玉)から印章等の返還を受け自ら預金者として預金の支払を要求する。勿論、替え玉となつた知人は行方をくらまし、借入金を返還しない。

このような場合、金融機関としては預金者と替え玉がぐるであることを立証することはほとんど不可能である。しかし、原審の理論によれば、真正な預金者が直接預金申込をなしたことにより、金融機関としては真正な預金者と認識していたことにより、替え玉を見抜けなかつたとしても、常にその責任を負わなければならないことになつてしまう。(これを防ぐためには預金証書すべてに預金者の顔写真を貼布することまで要求されるものであろうか)

この結論が不合理であることは、きわめて明らかである。

かかる場合の真実の預金者と、金融機関の利害を調整する公平の法理として、準占有者に対する弁済の法理がみとめられていて、善意、無過失の金融機関については免責されるべきである。しかるに、原審の考えによれば、替え玉を見抜けなかつた金融機関はすべて「悪意」の弁済者にされてしまう。

(4) また、反面において、融資係が替え玉を見抜けなかつたとしても、それをすべて金融機関としては善意とみることも妥当ではない。

福岡高裁昭和四九年二月二八日判決(判例時報七五〇号六四頁)における事例の如く、真正なる預金者が、金融機関の営業店舗において、直接同支店次長との間において預金契約をなした、という場合においては、預金契約が営業店舗内で行なわれたこと、および監督的地位にある支店次長が直接預金契約をなしていることに鑑み、金融機関としては真正なる預金者が誰であるかを認識していたとし、民法四七八条の類推適用を否定したことは相当であると判断される。

ところが、本件事案においては、金融機関の店舗外で、しかも、被上告人以外の第三者方において預金契約が行なわれ、且つ、上告人の一得意先係が面談したにすぎず、これをもつて、直ちに真正の預金者が被上告人であることを上告人としては認識していた、ということはできない。それはあくまでも、預金時のみならず、貸付申込時の状況をもふまえたうえで、全体として判断されなければならないものである。

四、以上に述べてきたことにより明らかなとおり、原審は最高裁判所の判例に違背し、民法四七八条の解釈を誤まつており破棄されるべきである。

第二点 原審が、上告人は被上告人と名乗る別人(替え玉)某を表見預金者として、同人に対する貸付をする合意をなしたものと考える余地もない、との判断をなすことは、民法四七八条の「準占有者」の解釈を誤まつたものであり、その誤まりは判決に影響を及ぼすこと明白である。

一、債権の準占有者とは、取引観念からみて真実の債権者であると信じさせるような外観を有するものをいう(我妻 債権総論二七八頁)。そして、本件の場合、「石島敏雄」と名乗る者が、真正な預金者である上告人「石島敏雄」名義の定期預金証書、実印を押捺した借人申込書等の一件書類を持参し、しかも上告人と被上告人との取引の紹介者である平岩仁雄同行のうえに、上告人店舗に来店しているという事実関係が第一審および原審において認定されている。

しかりとすれば、上告人(融資係山田昇平)は、「石島敏雄」と名乗る者を、まさに上告人本人であると信じ、同人に対し、印鑑照合等の同一性確認の手続をなしたうえで、定期預金担保の貸付をなしたものであつて、「石島敏雄」と名乗る者は、「表見預金者」に該当するものと言うべきである。

二、また、最高裁判所昭和五三年五月一日、第二小法廷判決は、金融機関が、記名式定期預金につき、真実の預金者と異なる者を預金者と認定して、この者に対し右預金と相殺する子定のもとに貨付をしその後右の相殺をする場合については、民法四七八条の類推適用があるものと解したうえで、「この場合において、貸付を受ける者が定期預金債権の準占有者であるというためには、原則としてその者が、預金証書及び当該預金につき銀行に届けられた印章を所持することを要するものと解すべきである。もつとも貸付けを受ける者が届出印のみを所持し、預金証書を所持しないような場合であつても特に銀行側にその者を預金者であると信じさせるような客観的事情があり、それが預金証書の所持と同程度の確実さをもつてその者に預金が帰属することを推測させるものであるときには、その者を預金債権の準占有者ということができる」旨を判示している。

右裁判例は、預金債権の「準占有者」の認定基準を明確に示したものであるところ、本件についてみると、いずれもその要件を満たしているものというべきである(印章所持の点についてはすでに押印済(実印)の預金担保貸付に関する一件書類を持参したことをもつて、印章を持参したことと同様に評価しうる)。

三、従つて、原審の判断は、民法四七八条の解釈を誤まり、且つ、最高裁判例に違背し、「準占有者」への弁済を認めなかつたものであり、右の誤まりは判決に影響を及ぼすこと明らかである。

第三点 原審は、上告人が、相殺権行使の時点においては、貸付契約及び担保認定契約がいづれも被上告人の意思に基づかないものであることを知つていた、との認定のもとに、民法四七八条の類推適用する余地はないとの判断をなしたものであるが、右判断は、民法四七八条の適用の要件である「弁済者ノ善意」の解釈を誤まつたものであり、その誤まりは判決に影響を及ぼすことが明らかである。

一、債権の準占有者に対する弁済が有効となるためには、弁済者が善意、かつ、無過失であることを要するが、記名式定期預金担保貸付・相殺に民法四七八条の類推適用があるとしたとき(その類推適用が認められるべきことは、最高裁判所、昭和五三年五月一日、第二小法廷判決により明白である)、その弁済者の善意、無過失はどの時点で認められなければならないのであろうか。

二、この点について明示する最高裁判所判例は現在まで見当らず、学説においても二説存在する。

第一説は、定期預金担保に貸付けをなす時点で、善意、無過失であれば足り、のちに相殺する時点においてまで善意、無過失であることを要しないとする見解(以下、貸付時説という)である。

第二説は、貸付時のみならず、相殺時まで善意、無過失であることを要するとする見解(以下、相殺時説という)である。

本件において、第一審判決は、貸付時説をとり、原審判決は、相殺時説を採用したことが明らかである。

三、しかしながら、つぎに述べる理由により、原審の採用した相殺時説は不合理であつて、貸付時説が採用されるべきである。

(一) 相殺時説の根拠は、準占有者の弁済の法的効果は、債権の消滅であり、預金担保貸付においては、相殺権の行使によつて債権の消滅という効果が生ずるという形式的な面にのみ重きを置いたものである。

しかし、右は、あまりに形式論理にすぎて、準占有者の弁済の法理を空洞化するものである。

(二) 民法四七八条は、債権者らしい外観を呈するものに善意で弁済した者を保護する規定であり、債務の弁済という日常最も頻繁に行なわれる取引についてその安全敏速を図ることを目的としている。

そして、金融機関が、日常膨大な量を処理する預金払戻、解約等の業務についても、その信頼を保護するため、本条の適用ないし類推適用が認められている。

(三) ところで、このような民法四七八条の目的に鑑みれば、定期預金担保貸付の場合においては定期預金を担保とする貸付の申込を受けた金融機関がその申込者が預金者本人であることを信頼して貸付契約をなし、貸付金を交付する行為こそが、保護されなければならない。けだし、金融機関が定期預金を担保として貸付金を交付するは、実質的には預金者の定期預金を払戻しをすることと同様であるからである。この時点において、定期預金の中途解約と同視しうる関係にたつものであつて、のちに相殺権を行使することは、形式上の事務処理手続にすぎない。

殊に、近年、定期預金の中途解約という方法を取らずに、預金担保貸付という方法をとる例が増大している現状(金融機関としては、預金残高の確保が可能であることのほか、他方顧客としても、中途解約をした場合、定期預金利率から普通預金利率に低下するため、定期預金満期日が近いような場合は、定期預金を解約することなく、それを担保に借入をする方法をとることが有利な面もある)に鑑みれば、実質的に定期預金解約と同視しうるのは金融機関が貸付を実行する時点であることは明らかである。

(四) 従つて、民法四七八条の趣旨に照らし、金融機関に与えられる保護の実質的な根拠となるのは、貸付時における預金債権の準占有に対する金融機関の信頼であるから、右時点での準占有の成否及び金融機関の過失の有無が問われなければならない。

(五) 最高裁判所昭和四八年三月二七日、第三小法廷判決に関する判例解説(法曹会 判例解説四八年度版一八〇頁、柴田評釈)も相殺を予定して貸付をした銀行の信頼を保護すべきことを根拠に、相殺時においてまで善意、無過失を要しないと解している。(同旨川井・週刊金融・商事判例三八九号四頁)

四、しかして、貸付時説の見解に基づき、本件事案を判断すれば、上告人は「善意、無過失」であることが明らかである。

(一) 第一審が、適法に認定した事実によれば、昭和五一年八月一八日、上告人の融資係員山田は、「石島敏雄」と名のる男が、面識のある平岩と同道しており、かつ、一連の借入申込書類および定期預金証書に押捺された印影と、さきに被上告人が預金に際し届出た印影と照合したところ、両者は同一であると認めたので、原告が本件定期預金を担保に貸付けを受けるものと信じ、貸付を実行したものであり、貸付時において、上告人は善意、無過失であることが明らかである。

(二) 原審が、上告人が善意か否かについて認定した事実は、

(1) 昭和五二年四月二〇日すぎ頃、平岩の倒産を聞いた被上告人が上告人に問い合わせたところ、一旦は定期預金がそのままになつていると聞かされて安心したが、その翌日、本件定期預金が担保に入つていることを上告人関町支店長から聞かされたこと

(2) 担保差入証書の作成日は、昭和五一年八月一八日付とされているが、公証人の確定日附は昭和五二年四月二六日とされていること

(3) 上告人が昭和五二年五月二七日、相殺の意思表示をなすについて、事前に催告その他の連絡がなされていないこと

の三点である。

ところで、上告人の善意、無過失を判断する時点は、貸付実行時すなわち、昭和五一年八月一八日が基準時となるべきことは前述のとおりである。

しかし、原審の認定した事実は、いずれも、昭和五四年四月二〇日すぎの事実であつて貸付時において悪意と認定したものではない。むしろ、原審自体も、貸付時においては、上告人は、被上告人との間に真正なる貸付契約、担保設定契約が成立していたものと認識していた(原審はこれを誤認と表現していた)こと、すなわち、善意であつたことを認定しているものである。

前述の(2)の事実についても、公証人の確定日付と現実の作成日時が異なることは必ずしも異常ではなく(山田証人は、上告人においては、本件取引以外の確定日付を取る書類がまとまつた段階で一括して公証人役場に持参したためであることを証言している)、貸付実行日が昭和五一年八月一八日であることについては疑う余地はない。

また、原審の認定した前述の(3)の事実についても相殺権行使前に被上告人に対し何らの催告をしていない事実をもつて、あたかも上告人が以前から悪意であつたかの如き判断をなしているが、同じ原審が昭和五二年四月二〇日すぎに被上告人が上告人関町支店を訪ねたことを認定しているのであり、その時点ですでに被上告人は、預金貸付契約については関知していないこと、借入金を返済する意思のないことを言明しているものと判断され、同年四月二七日に相殺通知をなすに先立ち、特に催告することを要求することは無意味である。

(三) 定期預金の中途解約払戻請求がなされた場合の金融機関の注意義務の程度については、大阪高裁昭和五三年一一月二九日判決(判例時報九三三号一三三頁)により「銀行が、定期預金の中途解約、払戻請求に際し、預金者と払戻請求者の同一性確認のために行なうべき手続は(満期における払戻請求や普通預金の払戻請求の場合に比して)、より加重された注意義務を負うとはいうものの、当該払戻請求に関し、右同一性に疑念を抱かせる特段の不審事由が存しない限り、原則としての多くの銀行が履践している預金証書と届出印鑑票の所持の確認、事故届の有無の確認、中途解約理由の聴取、払戻請求書と届出印鑑票各記載の住所氏名および各押捺された印影の同一性を調査確認することをもつて足り」るとされている。更に、右判決はその上告審たる最高裁判所昭和五四年九月二五日第三小法廷判決(金融・商事判例五八五号三頁)においても支持されている。

よつて、預金担保貸付に際しても、右と同程度の注意義務が存するものというべく、本件の第一審判決も、また、右判決と同様の視点に立ち、上告人は何らの注意義務違反のないことを明らかにしているものである。

五、以上に述べたところにより明らかなとおり、原審は、相殺時記に基づき判断したため、上告人を「悪意」であるとして、民法四七八条の類推適用ないしは貸付契約上の免責約款の適用を排斥したことは明らかである。

このため、原審が、民法四七八条の法律解釈を誤まることなく、貸付時説に基づいて判断すれば、第一審および原審が認定した全ての事実関係について判断としたとしても、上告人が善意、無過失の弁済者であることが明白である。〈以下、省略〉

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